And maddest of all...

さよならの先で、また。

りんごは赤い

大学のサークル同期にとても寡黙な男子がいる

大学時代は週に何日も朝まで飲んで、卒業旅行も海外へ二回(学部・大学院)一緒に行って、卒業してからも頻繁に飲んでいた(いる)けど、誰が結婚したらしいよみたいな話をしているときに小声で「あ、オレも」と突然告げるようなひと

とにかく自分のことを自分から話すことをしないタイプ

 

学部の頃、彼は同じサークルの二つ下のNちゃんと付き合っていた

(これも気がついたら付き合っていた)

Nちゃんは可愛いくて愛想が良くてちょっと言動が不思議で好きなひとに好きを表現するタイプで、サークルの内外で私も含め男女から愛されていた

 

そんなNちゃんと超寡黙彼氏がどうやってコミュニケーションをとっているのかは最初から最後まで謎だった

たぶん彼に対するNちゃんの巨大な「好き」で成り立っていたのだと思う

 

たださすがにある時、Nちゃんが彼に「私のことをどう思ってるのかわからない」みたいなことを漏らしたらしい

私も含め周りは「いや〜そうだよな〜」としか思わなかったのだけど、その時の彼の返事は

 

「オレがNちゃんのことを好きなのは『りんごは赤い』くらい当たり前のことなんだよ」

 

というものだった

当時の私は即座に理解不能、いや「恋人の軽視」と判断し、彼のことを「ダメな彼氏」として笑った

ただ、なんとなく彼のこの返事は頭のなかに必ずしもネガティブでないものとして残っていた

 

それから5年、10年が経って、ようやく、彼は決してNちゃんの存在を軽視していたわけではないということが、頭よりもう少し心に近い部分で理解できるようになった気がする

寡黙な彼にとってはきっと、「『りんごは赤い』くらい当たり前なんだよ」はかまってちゃん彼女への適当な応答ではなく、(あるいは少し勇気を振り絞った)誠実な告白だったのかもしれない

 

愛の伝え方が人によって異なることに、愛と愛の可能性を感じるお年頃

 

(愛は熱いうちに伝えろ、とは思い続けているけどな)

レタスと挽肉

子どもではないけど大人ともいえない年齢の頃、両親はときどき、なんの前触れもなくいい中華料理店に私たちを連れていってくれた

 

といっても東京の高級中華のようなところではなく、地元資本の12階建のデパートの10階か9階のグルメフロアに入っているレストラン

 

それでも当時の地元では立派な高級中華で、家族のお祝いごとや偉いさんたちの食事会につかわれるタイプの少し特別な場所だった

 

そんな場所にお祝いでもないのに行くなんて当時は不思議に思っていたけど、思えば父親の昇進か、母親か父親が何かしらの理由で突発的にそういうイベントを求めたのだろうと今は想像がつく

 

ぐーんと上がったデパートのエレベーターを降りてお店の入口に向かい、スーツを着た男の人に予約名を伝えて丁寧に席まで案内されるまでの時間は、子ども心にもやっぱりちょっといい心地がした

 

ただ両親からメニュー表を渡され食べたいものを聞かれると、自分が国立中学を落ち私立中学に入学したことでうちの家計はもう終わりだと思っていた私はどうしても値段を見てしまうし、何より倹約家の父親が何を食べたいかを知っていたので、本当に食べたいものは伝えられず、結局毎回同じものを頼んだ

 

そのなかで、そのレストランに行き始めた初期の頃に頼んだのがレタスに味の濃い挽肉を包んで食べるやつだった

その食べ方にも、味にも、びっくり仰天したのを鮮明に覚えている

 

(いま調べたら「挽肉のレタス包み」みたいな平凡なメニュー名しか出てこなくてちょっとショックだけどまぁその程度のものにびっくり仰天するのが1990〜2000年代の地方の子どもである)

 

父親の口に合わなかったのか、コスパが悪いと判断されたのか、レタスに味の濃い挽肉を包んで食べるやつを食べたのはその一回きりだった

 

あれから20年ほど経って、東京から帰省した私が「中華が食べたい」と言うと役員を経て定年退職した父親は地元で一番のホテルの中華に連れていってくれる

 

そこの料理はどれもとびきり美味しいけど、もうちょっと食べたいなと思ったエビチリとか、お腹いっぱいなのにばくばく食べれてしまう炒飯とか、両親に申し訳ないなと思いながら姉兄にくっついて注文したデザートのタピオカココナッツミルクの感動するような美味しさとか、当たり前だけどもう思い出のなかにしか存在しないなぁと思う

 

12階建のデパートの10階か9階のグルメフロアに入っていた中華はいつのまにかなくなっていて、街のデパートのうえのレストランはどれもカジュアルな日常使いのものになった

 

時代を生きているんだなぁ

 

 

 

花言葉

大切にすると決めた途端、掌の中のガラス玉は砕け散った

急上昇する体温を感じながら必死に集めた破片は

当たり前だけどさっきまで撫でていた球体とは違うモノだった

 

透明な欠片を無表情でゴミ箱に投げ入れた私は

ガラス玉よりも眩しい光に包まれた

 

光を反射する涙は

乾いても乾かなくてもいい

 

 

さよなら、花言葉たち

 彼がそれを見ないためにはなんでもするものっていうのは、あるのだろうか。死ではない、孤独ではない、人間関係のトラブルでもない、自分の弱さでもない、追ってくる過去でもない、もう二度と戻らないこども時代でもない、将来への不安でもない、発狂でもない、退屈でもない。きっともはやそういうものはないんだろう。でもきっと彼には、そのようなものがミックスされて突然襲ってきて、いくら冷や汗をかいてのたうちまわっても時間が動いてくれなくて、泣くことも笑うこともできず苦しむあるタイプの夜の経験が、一度ならずあるだろう。

よしもとばなな <解説>なんで癒されたんだろう

菊地成孔『スペインの宇宙食小学館、2009

 

 

頭上にはもう青空がひろがっているのに

桜も降るように散っていったのに

 

 

ここのこと

井上ひさしは、言語の本質を「永遠を目ざす継続性」と表現した。
ひとは言葉を、文章をもって時間に対抗してきたのだという。

 

だけどいま、私がtwitterに ー日本にtwitterが定着し始めたのは丁度井上が亡くなった頃だったと思うー 流した言葉はあっという間に手の届かないところへどんぶらこと流れていく。facebookinstagramも、フィードは秒単位で変化する。昨日、誰が何を投稿したのか、よほどじゃない限り覚えていない。半年前の自分のtweetには記憶にないものが多すぎて驚く。確かにログをたどればそこに言葉は残っているけれど、ネット上では言葉の刹那性もまた事実だ。

子どもの頃、神社のお祭りで真っ赤な金魚をすくった。しばらくは飼っていた気がするけれど、親に言われて川に放すことになった。近所のきれいな川、わざわざ上流まで車で行って、穏やかな流れのなかへそっと金魚を放った。その瞬間の記憶はあるのに、そのあと、金魚がどう泳いでいったのか—ゆっくりだったか、素速かったか、右へ泳いだのか、左へ泳いだのか、まっすぐ進んでいったのか—を全く覚えていない。自分の掌から金魚が離れた瞬間、私の記憶は途切れる。

私が言葉を“流す”のはその感覚に近い。掌の金魚は常に視界にはいる。頭に浮かんだ考えは、それがつまらないかそうでないかを問わず、常に脳のどこかを占める。それを川よりも海よりも広いネットに放流することで、別の金魚をすくいに行けるかもしれない。今度は草むらのバッタを両手で捕まえられるかもしれない。ふわふわのゴールデンレトリバーの毛をわしゃわしゃできるかもしれない。誰かの手を握れるかもしれない。

 

そういうことで、ここは、しんどくなったときに来る川岸のような感じのブログです。
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野田地図『逆鱗』

「忘れたって消えやしない」 

観劇以来毎日まいにち、もう4ヶ月間も私の思考力と脆弱なCPUを蝕んでくれるので、もう一滴のしずくとして海に流してしまいたくなりました。身体にこもった熱を放出するように。漢方ください。

※観劇直後にアナログノートに書き殴ったものをそのまま起こしたもので、読みにくさ、テンションの上下、意味不明箇所など多々あります。私にも分からないよ。台詞等はもちろん正確ではありません。

 

■野田地図『逆鱗』2016年3月11日(金)

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