子どもではないけど大人ともいえない年齢の頃、両親はときどき、なんの前触れもなくいい中華料理店に私たちを連れていってくれた
といっても東京の高級中華のようなところではなく、地元資本の12階建のデパートの10階か9階のグルメフロアに入っているレストラン
それでも当時の地元では立派な高級中華で、家族のお祝いごとや偉いさんたちの食事会につかわれるタイプの少し特別な場所だった
そんな場所にお祝いでもないのに行くなんて当時は不思議に思っていたけど、思えば父親の昇進か、母親か父親が何かしらの理由で突発的にそういうイベントを求めたのだろうと今は想像がつく
ぐーんと上がったデパートのエレベーターを降りてお店の入口に向かい、スーツを着た男の人に予約名を伝えて丁寧に席まで案内されるまでの時間は、子ども心にもやっぱりちょっといい心地がした
ただ両親からメニュー表を渡され食べたいものを聞かれると、自分が国立中学を落ち私立中学に入学したことでうちの家計はもう終わりだと思っていた私はどうしても値段を見てしまうし、何より倹約家の父親が何を食べたいかを知っていたので、本当に食べたいものは伝えられず、結局毎回同じものを頼んだ
そのなかで、そのレストランに行き始めた初期の頃に頼んだのがレタスに味の濃い挽肉を包んで食べるやつだった
その食べ方にも、味にも、びっくり仰天したのを鮮明に覚えている
(いま調べたら「挽肉のレタス包み」みたいな平凡なメニュー名しか出てこなくてちょっとショックだけどまぁその程度のものにびっくり仰天するのが1990〜2000年代の地方の子どもである)
父親の口に合わなかったのか、コスパが悪いと判断されたのか、レタスに味の濃い挽肉を包んで食べるやつを食べたのはその一回きりだった
あれから20年ほど経って、東京から帰省した私が「中華が食べたい」と言うと役員を経て定年退職した父親は地元で一番のホテルの中華に連れていってくれる
そこの料理はどれもとびきり美味しいけど、もうちょっと食べたいなと思ったエビチリとか、お腹いっぱいなのにばくばく食べれてしまう炒飯とか、両親に申し訳ないなと思いながら姉兄にくっついて注文したデザートのタピオカココナッツミルクの感動するような美味しさとか、当たり前だけどもう思い出のなかにしか存在しないなぁと思う
12階建のデパートの10階か9階のグルメフロアに入っていた中華はいつのまにかなくなっていて、街のデパートのうえのレストランはどれもカジュアルな日常使いのものになった
時代を生きているんだなぁ